Blogot - 旅とF1と車と男の嗜み

旅とF1と車と男の嗜みをテーマとした後藤康成のブログ。

村上春樹「1Q84」を読む。その物足りなさと不安感。そして。。

今回はITとはかけ離れた文芸のエントリー。

実のところ僕は村上春樹の20数年来のファンである。彼の小説は全集を除いてすべて読んでおり、この20数年間「ダンス・ダンス・ダンス」はトップの座を譲らない。このブログを書き始めたのは2003年の10月であるが、前回の村上春樹の長編である「海辺のカフカ」は2002年9月に発売されたので、村上春樹ネタのエントリーは今回はなんと初めてである。

今年5月末に発売され当時入手困難とまで言われ、ベストセラーとなった「1Q84」も当然ながら6月上旬に読了した。素晴らしい小説の場合、読了直後のレビューは興奮気味なので興奮が収まった後じっくりと感想を噛みしめる事にしている。

僕にとって小説の醍醐味は、「ものすごいパワーの文体とストーリーの変化でどんどんページを進ませ、読者のイマジネーションを掻き立てる小説」と「読了後、数ヶ月あるいは数年を経てから、突然、後ろ髪引かれるように読み返したくなる小説」の2つのタイプに別れ、どちらかといえば後者を好む傾向にある。

さて、今回の「1Q84」はどちらにも属していない。僕の中でストーリーが完結していないからである。その先がきっとある筈である。「1Q84」は独特の文体での情景描写を鏤めた村上春樹ワールドは依然存在するものの、明らかに物足りなさと不安感が残っている。

つまり「ねじまき鳥クロニクル」の時のように、「1Q84 Book3」が出るのではと密かに期待している。上・下巻としなかったのはそのためではないか?