Blogot - 旅とF1と車と男の嗜み

旅とF1と車と男の嗜みをテーマとした後藤康成のブログ。

あのライブ感満載のチームラジオをもう一度

2016年のF1サーカスがスタートして早くも4戦目のソチ(ロシアGP)です。まもなく決勝がスタートしようとしています。

今年も多くのレギューレーション改定がありましたが、F1ファンに影響のあるレギュレーション改定として無線通信(チームラジオ)の制限が実施されました。この無線通信の制限の目的はドライバーを自立させ、特定のアクションをエンジニアではなくドライバーに任せることを目的に導入されました。

F1 2013 Japan GP

このレギュレーションの目的は理解できないこともないのですが、実際にこの3戦(メルボルン、バーレーン、上海)を通じで昨年まで国際映像中の頻繁に流れるレースのダイナミズムでもあったドキドキ感満載の無線通信の音声がほとんど無くなり、ライブ感がかなり損なわれ、特にフリープラクティスと決勝の中盤戦はとても退屈なレースに見えてしまうのです。

もちろんレギュレーションの目的は理解できるものの、エンターテイメントとしてのF1(特に国際映像)を考えた場合、実際のエンジニアとドライバーのライブコミュニケーションが映像から伝わってくるワクワク間がなくなったのは、凄く寂しい感じです。

これまでの無線通信に復活することをこっそり祈っています。

バーレーンで継続するF1予選90秒ノックアウト方式

一転二転、2016年 第2戦 F1バーレーンGPでは、開幕戦で採用されたノックアウトされていく新予選ルールが継続されることになりました。

F1チーム代表は2戦目のF1バーレーンGPでそれを撤廃することで同意していたものの、24日に行われたF1ストラテジーグループのミーティングで、ルール変更に必要な満場一致の合意が得られなかったことから継続が決まったようです。

この、満場一致の合意形成ルールについてF1ドライバーたちは、「F1の意思決定プロセスが“時代遅れ”で“構造に欠陥がある”」と批判しています。

F1 2012 Indian GP

いずれにしても、バーレーンでエキサイティングな予選が期待できればよいのですが。。

幻となったF1予選90秒ノックアウト方式

この週末に開幕したF1 2016 オーストラリアGP。

先日エントリーした、シンプルなように見えた90秒ノックアウトの新ルールですが、Q1では多くのドライバーがクリーンなアタックラップを確保できない状況でした。さらにポールポジションを決定するQ3では圧倒的なタイムを出したメルセデス勢が早々と決戦を終え、予選は3分以上を残して誰も走行しない事態になってしまいました。

その結果、マシンのいないトラックでチェッカーフラッグが振られる事になってしまいました。

20日(日)の決勝レースを前に各F1チーム代表は、メルボルンでミーティングを開き、昨年の予選システムに戻すことに満場一致で同意。次戦バーレーンGPに向けてF1委員会で承認される方向と各メディアで報道されています。

F1 2013 Japan GP

たった一回だけの90秒ノックアウト方式の予選となりました。

1970年代の日食ミステリー(再び)

2012年6月13日のエントリーのアップデートです。

久しぶりのエントリーになるのですが、今回は2012年5月21日に西日本を中心に観られた金環日食に端を発したミステリーです。

Eclipse

金環日食の日のフジテレビ番組「とくダネ!」オープンニングで笠井アナウンサーは「小学生の頃に東京で黒い下敷きを使って日食を見た記憶がしっかりと残っている。」と言っていた。実は僕も(記憶では)1970年代の小学生の頃に皆既日食なのか金環日食だったのか部分日食だったのかは覚えていないが校庭で黒い下敷きを利用して日食を見た記憶がある。笠井アナウンサーは調べたところ1963年生まれなので僕と同年代だ。おそらく同じ日食なのだろう。(写真は2012年5月21日東京にて僕がiPhoneから日食メガネを使い撮影)

1970年代の日食観測の情報をネット上で調べてみると不思議なことに、そのころ日本において日食が観測された記録が見当たらない。実際に複数の同年代の友人に聞いてみたが1970年代に日食があったかどうか覚えていないそうだ。僕の記憶はかなり曖昧なのかと思いきや、渡辺千賀さんのブログ「日食の思い出(と記憶のねつ造)」をはじめとし、ネット上で僕と同じように当時に日食を経験した人が結構な数見つかった。

しかも場所は同時期ではないかもしれないが、北海道滋賀長崎と日本においても広範囲の地域であったようだ。ネット上の情報を総合すると、もっとも有力と思われる日食は1972年7月11日におこった皆既日食のようだ。実際当時アラスカまで赴いて日食を撮影した方の記帳な情報を発見した。(1972年7月のアラスカ皆既日食

これだ!と思い日本において本当に1972年7月11日に日食があったかを本格的にネット上を調べてみることにしたが、いかんせん1970年代とネット以前の時代の情報であることから日本語での信頼できる情報には限界があることがわかったので、もっとも信頼できそうなNASAの日食データベースを調べてみた。NASAの日食データベースは部分日食もカバーされた地図が掲載されている。

ところが、1972年7月11日におこった皆既日食はアラスカ日食と言われ、日食の皆既帯は、樺太から始まりカムチャッカ半島やベーリング海峡を越えて北米大陸の北端部を駆け抜けて、北大西洋まで達するものだった。つまり1972年7月11日には日本において部分日食すら発生していない。

一番近いところでは1969年3月18日に日本において広域に部分日食観測されたがあったことがわかったが20%程度欠ける程度である。

さらに1978年10月2日にも部分日食が広域で観測されており、東北では45%、北海道では50%くらい欠ける日食であった。

そうなると僕の記憶は1978年のものだったのか。しかし、このころは中学生だったことから記憶はもっと鮮明なはずだ。しかもそのころは黒の下敷きなどという地味な下敷きではなく、キャラクターやアイドルなどが印刷された下敷きがトレンドだった。僕の記憶は小学校で黒の下敷きで日食を観た記憶だ。

いったい僕の記憶はなんだったのだろう。この日食ミステリーは未だ解決していない。。

@@@

時は経って2016年3月。このミステリーですが、その後も頭から離れなくて、継続的にネットで調査しました。その結果やっぱり1978年10月2日に日本で部分日食が見られたというのが有力だと思われるようになりました。

小学校の校庭での日食観測が記憶されていますが、1978年だと中学生です。記憶とはかなり曖昧なものなので、おそらく1978年の日食だったのでしょう。ひとまず解決して良かったです。

今年のF1予選は90秒ノックアウト方式だ

いよいよ今月18日(金)オーストラリアのメルボルンから開幕する2016年のF1シーズンですが、昨日予選のルールが変更されることが正式にアナウンスされました。この新ルールへの変更は以前から情報は流れていましたが、時期的には2016年カナダGP以降になるのではされていました。ところが急転直下開幕戦から導入されたのです。

F1 2013 Japan GP

新ルールは90秒インターバルでマシンが消えていくライブ感満々のルールとなっています。そして最後の90秒はポールポジションを争う2台の一騎打ちです(ドキドキ感満載)。

このルール、生き残るためにはマシンパフォーマンスだけではなくテクニカルなピットワークが鍵になること間違い無しです。ファンとしてはライブ映像から目が離せません。

F1 新予選ルール

第1ラウンド(Q1)
セッション時間は16分間。開始から7分後に最も遅いタイムのドライバーが脱落。以降、セッションが終了するまで、90秒経過ごとにその時点で最下位にいるドライバーがノックアウトされていく。Q1では7名が姿を消し、15名がQ2に進出する。

第2ラウンド(Q2)
セッション時間は15分間。開始から6分後に最も遅いタイムのドライバーが脱落。以降、セッションが終了するまで、90秒経過ごとにその時点で最下位にいるドライバーがノックアウトされていく。Q2では7名が姿を消し、8名がQ3に進出する。

第3ラウンド(Q3
セッション時間は14分間。開始から5分後に最も遅いタイムのドライバーが脱落。以降、セッションが終了するまで、90秒経過ごとにその時点で最下位にいるドライバーがノックアウトされていく。最後の90秒間は残った2名のタイムアタックが行われる。

2015年の予選ルール

第1ラウンド(Q1)
セッション時間は18分間。すべてのマシンが参加し、好きなだけ周回を走ってタイムを計測する。 終了した時点でタイムシート下位5台が脱落。

第2ラウンド(Q2)
セッション時間は15分間。好きなだけ周回を走ってタイムを計測する。終了した時点でタイムシート下位5台がノックアウト。

第3ラウンド(Q3)
セッション時間は15分間。2つのセッションを生き残った10台によるQ3でポールポジションをかけた争いが展開される。

いやぁ、メルボルンの予選が楽しみです。

(追伸)オーストラリアGPで実施された結果、本フォーマットは中止となりました。

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インドのカオスな交通事情

よくよく考えるとインドネタのブログエントリーが無いことがわかったので、今更ですがインドネタをエントリーします。

2012年に始めてインドを訪れてから2015年までの約3年半の間に、なんと38回インドのIT都市であるグルガオンを出張で訪問しました。 インド入国後に車で移動して最初にサプライズするのが、文字通りカオスの交通事情です。

よく、渋谷のスクランブル交差点は「あらゆる方向から交差点に進入するMax3000人の歩行者が接触しないのは奇跡的だ。」と外国人旅行者の間では都市伝説になっているようですが、インドはその比ではありません。

India201305

  • 車線はあって無いようなもの。(写真では守っていますが)
  • クラクションは自車の意思表示。
  • 歩行者、自転車、オートリクシャー、自動車、バス、トラックが我先にと縦横無尽に交差点に侵入します。

しかし事故は殆どありません。そこにはカオス(混沌)の中の秩序が存在するようです。(ちなみに、バンパーがぶつかるのは事故と捉えません。)

百聞は一見にしかず。Westin Grugaon ホテルからグルガオンの交差点を撮影した映像を御覧ください。

この交差点の場所はここです。

東慶寺と小林秀雄

3月です。はい、梅の時期です。「今、東慶寺の蝋梅が綺麗」この週末にテレビの情報番組から流れていたので「そうだ、鎌倉行こう!」ということで北鎌倉の東慶寺に行ってきました。新宿から湘南新宿ラインを利用すれば乗り換え無しで小一時間で北鎌倉に到着します。

東慶寺(Tokeiji Temple)

東慶寺(Tokeiji Temple)

実は、本当の目的は小林秀雄さんの墓参りです。前回墓参りしたのは2012年の新春だったと記憶しているので4年ぶり(オリンピック・イヤーですね)ということになります。

入館で200円必要でしたが、蝋梅見物向けの観光客に対しての入館料を取るようで、小林さんへの墓参りです。と言ったら入館料なしで通してもらいました。

東慶寺(Tokeiji Temple)

コンビニでお線香買っていこうと思ったのですが、機転を利かせて小林さんの好きな清酒「鬼ごろし」にしました。

 

■関連エントリー

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Tokyo 1 mile/100 mile Projectでプレゼンしました

2月25日に表参道のAntenna Wired Cafeで開催された、WIRED HOTEL主催のイベント「WIRED HOTEL Unofficial Japan Guide vol 3.」にプレゼンテーターとして参加してきました。

このイベントは、2017年春に浅草にオープンする「WIRED HOTEL」がキュレーションするグローバルコミュニケーションイベントです。日本・海外、様々なバックグラウンドを持つグローバルなスピーカーが彼らのオリジナルな視点で「海外から日本に来た友達に体験してもらいたいこと」をコンセプトにトークを展開するのがイベントの特徴。

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トークを聞いて気に入ったら、実際に行って見るもよし、オススメの情報交換をするのもよし。スピーカーと参加者がその場でコミュニケーションを取れるフレンドリーなイベントです。

トークテーマは「Tokyo 1mile / 100mile」。

東京を起点に、平日(日常的)にふらりと遊びに行ける徒歩圏でのオススメと、週末(日常を離れて)にドライブがてら2〜3時間で行けるオススメを、「食」にフォーカスしたテーマのプレゼンです。

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今回僕は、1mile = 東京競馬場のB級グルメ。 100mile = 山梨の勝沼ワイナリーの日本産ワインについて英語で紹介しました。

雨の日には車をみがいて - たそがれ色のシムカ

「雨の日には車をみがいて」は全体の編を通して「素敵な女性と車との出逢いと別れ」がテーマになっています。最初の編は「たそがれ色のシムカ」です。この編に登場する歌手の卵の「火見瑤子」が発した一言がこの本のタイトルを決定的にしていると共に短編集全体の方向性をも決定づけています。

SIMCA 1000
This file was published in Hans Stedehouder's Garage de l'Est website. All photos placed on that site are licensed under CC-BY-SA 3.0 (unported)

この「シムカ」(SIMCA)という自動車メーカーは日本人にはあまり馴染みがないかもしれませんね。 SIMCAは1934年にフランスに設立されました。その後1963年がクライスラーがヨーロッパ進出のために買収。そして1978年にはシムカブランドはタルボに置き換えられたことで終了しました。したがって現在では製造されていない自動車です。ちなみにSIMCAとは「自動車車両車体工業会社」(Société Industrielle de Mécanique et Carrosserie Automobile )の略だそうです。

物語に登場するモデルはシムカ1000で1961年から1978年まで生産されました。

年式不明のおんぼろのシムカ1000だったというのは、今から考えるとなんとなく滑稽な気がしないでもない。だがそれは年式不明の中古車とはいえ、一応れっきとした欧州車である。

物語では1962年以後に製造された年式不明とのこと。時代背景が1966年なので、1962年から1964年ごろに生産されたシムカ1000ということになります。写真で見て分かる通り、そのフォルムはスタンダードな4ドアセダン(ちょっと初代サニーに似ていますね)。パワーユニットは直列4気筒OHV944cc・50馬力のリアエンジン・リアドライブで4速マニュアルシフトです。 乗り心地はというと、物語では以下のように綴られています。

「案外なかは広いのね」
と乗りこむと瑤子は言った。
「でも、なんだかドアが完全にしまらないみたいよ」
「大丈夫。そのルーズさがドイツ車とちがうフランス社の魅力のひとつでね」
「へぇ、かなりいいこと言うじゃないの」

まぁ欧州車というとドイツ車がのような頑丈な作りの車体をイメージしますが、このシムカはかなり軽量な作りでコストダウンを図っているようでした。実際Wikipediaにも以下のように掲載されています。

フランスの自動車メーカーの特徴として、たとえ大衆向け普及車であっても非常に個性の強い自動車を作っている傾向があるが、シムカの場合には普遍的で保守的な設計に徹しており、コストを低く保っていた。精神的な支柱となった人物像もなく、レース活動も無縁と地味な印象に終始した。

現在のフランス車ですが、2014年のフランス旅行の際にロワールの古城巡りに最新型のプジョー308ディーゼルをレンタカーで利用しました。このジャーニーではその後BMW X1とオペル・アストラもレンタルしたのですが、それらより断然乗りやすく快適だったことを覚えています。

さて、物語ですがシムカのコンサバティブさとは相反し、瑤子を中心とするアグレッシブなストーリーでエンディングを迎えます。そうです、冒頭に記載した通りこの小説のテーマは「素敵な女性と車との出逢いと別れ」ですので。

雨の日には車をみがいて - 僕の愛した9台の車と9人の女たち

昨年の「火花」の影響もあってか小説が人気のようですね。僕も若いころは純文学、大衆文学構わずにノンジャンルで読んでいました。僕の中では小説と呼ばれる文学は短編長編問わずに大きく分けて2つにカテゴライズされています。

1つ目は「巧妙でダイナミックなストーリーと主人公のパワーで一気に(徹夜してでも)最後まで読ませられ、読んだ後に残る強い感動。しかしその後読み返しはほとんどせず本棚に眠る小説。」この手の小説を一発パワー型と呼んでいます。

もう一方は「とても個性的な主人公のキャラと意外性のあるストーリーでリズムよく読み楽しんで読み終えた後の数ヶ月後のある日突然読み返したくなる衝動に囚われ読み返し、その後も定期的に読み返す小説。」これを読み返し型と呼んできます。

この読み返し型小説の中で30年近く首位の座を保っているが五木寛之さんの「雨の日には車をみがいて」です。この小説はなんと、今から28年も遡る1988年に村上龍のトーク番組「Ryu's Bar 気ままにいい夜」にゲスト出演した五木寛之さんが番組中に直接紹介したことから、書店に足を運びこの本を手にとったのを覚えています。今ではKindleの中に入っており不定期に読み返している短編小説の一冊です。

当時の単行本の帯に書かれたキャッチコピーは「僕の愛した9台の車と9人の女たち」。

それらはシムカ1000、アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー、ボルボ122S、BMW2000CS、シトローエン2CV、ジャグワーXJ6、メルツェデス・ベンツ300SEL6.3、ポルシェ911S、そしてサーブ96S。9台の欧州車が9人の女性と共に、一つの編の中で魅力的に描かれています。

これら欧州車はそれぞれのメーカーは知っているものの、当時はネットが無かったこともあり、年代を含めたモデルを実際に目にすることは殆どありませんでした。今やネットで検索すると一発で見れちゃうので、僕はPinterestのボードに集めています。次回のエントリーからこれら9台のフォルムとマシンの魅力について触れていきます。最初はシムカ1000です。