新年あけましておめでとうございます。
本年も昨年に引き続きよろしくお願いします。2016年はみなさまにとって素晴らしい年になりますようにお祈り申し上げます。
Happy New Year!
I would appreciate your favor also this year. 2016 I wish to will be a great year for my friends.
恒例の今年を一文字で振り返ります。
これまでの一文字は、2013年「起」、2012年「印」、2011年「整」、2010年「進」、2009年「改」、2008年「淘」、2007年「変」、そして2006年は「激」とその年の自分の状況を表してきました。(2014年は特に理由なくスキップしました)
さて、今年を表す僕の一文字は「折」です。
「折」は、物事のけじめや区切りを表す「折り目」から来ています。多くの方には個別のご連絡しており、ブログやFacebookなどで正式に報告はしておりませんでしたが、今年11月末をもってヤフージャパンを退職したことから、今年は新たなる区切りの年になりました。
2012年からジョインしたヤフージャパンでの最初の2年間はインドにジョイント・ベンチャーを設立し、モバイルポータルの立ちあげに参画しました。インドの指数関数的な経済成長の中でのスタートアップの立ち上げはかなりレアな経験で、超アメージングな体験でした。
2014年からの1年半はインターネットキャリアを標榜するワイモバイルの立ちあげに参画しました。いずれもヤフー冠の付かないとてもユニークなミッションを与えられ、とてもエキサイティングなステージでした。ヤフーでは僕のキャリアパスの中でもユニークな仲間と一緒に仕事ができました。
ご存知フリードリヒ・ニーチェの名言に
「脱皮できない蛇は死ぬ。その意見をとりかえていくことを妨げられた精神も同様だ。 - The snake which cannot cast its skin has to die. As well the minds which are prevented from changing their opinions; they cease to be mind」
とあります。
まさにこの通りで、これまで僕は「変化することを恐れず、寧ろ変化し続けることを選んできた」ことから、常に変化を求める姿勢は今後も貫きたいと考えています。
また今年は、出張、プライベートと国内外の多くの都市に旅をした年でもありました。来年は腰を落ち着けてスタートアップに専念することになるので旅行の回数はかなり少なくなるでしょう。
なお、新天地の展望に関しては年初の豊富でエントリーしたいと考えています。
みなさん。良いお年を!
2015年の旅を写真でまとめました。いろいろ行ったな。おそらく来年はこんなに行けないでしょう。
4 - 6 Jan. New York City
6 - 10 Jan. Las Vegas
10 - 11 Jan. San Francisco
9 - 10 Feb. 熊本
10 - 11 Feb. 博多
1 - 5 Mar. Barcelona
27 - 28 Mar. Aurangabad/Ajanta caves
28 - 29 Mar. Ellora caves
5 - 7 May. Frankfurt
フランクフルト市内を望む
7 - 8 May. München
ミュンヘン旧市街
8 - 10 May. Stuttgart
シュトゥットガルト中心地
17 - 19 Jun. Taipei
16 - 19 Jul. Shanhai
7 - 9 Aug. Hong Kong
21 - 22 Sep. 岡山
21 - 22 Sep. 倉敷
22 Sep 備中松山城
22 - 24 Sep 松江
22 - 24 Sep. 出雲大社
3 Oct. 奈良
4 Oct. 大津
20 - 23 Oct. Manilla
13 - 16 Nov. Praha
16 - 19 Nov. Wien
19 - 22 Nov. Budapest
22 - 23 Nov. Helsinki
4 - 6 Dec. Hong Kong
11月13日から23日までちょいと長い休暇をとって中欧の国々4カ国ブラハ→ウィーン→ブダペスト→ヘルシンキを回ってきました。旅行記をITmediaオルタナティブブログのNetStatsにエントリーしています。
第6話:今話題のブダペストのサブカル「廃墟バー」に行ってみた
第7話:北欧の冬の夜にはクラフトビール
16日から3泊4日で今回はMWC上海2015に参加するために上海に行ってきました。上海は2007年ネットエイジ時代にスイスコムの連中を引き連れて行った記憶がありますが、一泊だったのでほとんど初めての訪問と行っていいでしょう。
今回は写真中心で報告します。
上海は食の大国中国であり、
古き良き時代の漂うヨーロッパであり、
大都会である。
やっぱりいちばんの魅力は中国料理、ランチ、ディナーと中国の様々な地方の料理をいただきました。
左「鶏肉のナッツ炒め」、右「空芯菜」、真ん中の「卵とトマトのオイスターソース炒め」はこれ2皿食べました。
「千煽小籠蝦」は68元(約1380円)さっきまで泳いでいた生きた蝦を赤唐辛子、ガーリック、ナッツで素揚げしたもの。
ということで上海を満喫しました。
この週末、強行スケジュールで台北に来ています。予てから訪問したいと思っていた台北ですが、羽田から3時間チョット(大阪からは2時間半です)と近すぎて先延ばしになっていました。そんな中、「そうだ、台北行こう」と思い立ってエアチケットを予約したのは6日前で、予約してすぐに図書館にガイドブックを借りに行きました。この夏は隣国を訪問するスケジュールを組んでおり、その第一弾です。
初訪問の台北なので、基本的な土地の情報はガイドブックでインプット。ホテル近辺の地理についてはGoogleストリートビューで頭に叩き込みました。その甲斐あってか、ガイドブックのリコメンデーションエリアはこの2日間で廻りました。タブン10Kmは軽く歩いたと思います。
Taipei 101は世界で7番目に高いビルディングです。展望台へは、500台湾ドル(約2000円)で入場できます。
台北のMRTの駅はすごく合理的に設計されていてすごく関心しました。東南アジアではシンガポールのMRTが印象的でしたが台北のMRTはそれ以上の印象です。
スマホショップです。デバイス・半導体メーカーがひしめき合うIT先進国の台湾。Yahoo!の創業者の出身国でもあります。デバイスはほぼ100%スマホです。6:4でiPhoneを持っています。なかでもiPhone6 Plusの比率が極めて高いです。さらに通信環境ですが4Gでデータローミング出来ました。数多くの国を訪問していますが4Gでローミングで来たのは台北が初めてです。
華西街観光夜市です。夜市でディナーをしようと考えていたのですが、ソロだったのでちょいと躊躇しました。
想像を超える大都会台北でした。明日早朝のフライトで日本に戻ります。
ポルシェ・ミュージアムはシュトットガルト中央駅からS6号線で4つめのNeuwirtshaus (Porscheplatz)で降ります。メルセデスベンツ・ミュージアムとは異なり駅前なので電車での来場者が多かった記憶があります。
ポルシェについて多くを語る必要はないでしょう。スポーツカーの代名詞といっても過言ではなく圧倒的な存在感を示しています。ちなみに、ポルシェのエンブレム(紋章)は、本社のあるシュトゥットガルト市とバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章を組み合わせたものだそうです。今回はじめて知りました。
デザインがとても洗練されたミュージアムです。
356はポルシェ社が1948年製品名にポルシェの名を冠した初のオートモービル。史上最も成功した大衆車と言われるフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)など傑作を生み出したフェルディナント・ポルシェ氏がデザインしています。
ポルシェ 911 カレラ RS といえばサーキットの狼で主人公の風吹裕矢のライバル早瀬左近の愛車として知られていますね。サーキットの狼では白のカレラでしたが、やっぱりスポーツカーはイエローだと思います。
2014年ゴールデンウィークの南ドイツの旅はこのポルシェミュージアムで終幕を迎えました。翌日のフランクフルト空港行きのICEに乗り込み無事帰国しました。これまでのエントリーには書きませんでしたが、ドイツビール、中でもヴァイツェンは毎日欠かさずにいただき17年ぶりのドイツをエンジョイしました。
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南ドイツの旅 (2) - フランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)
メルセデス・ミュージアムへはシュトットガルト中央駅からS1号線で2つ目のNeckarparkという駅で降り10分程度テクテクと歩いた場所にあります。といっても多くの訪問者は大型のツアーバスで来ており、無人駅からテクテクと歩いてくる物好きな旅行者は僕ぐらいなものでした。
メルセデス・ベンツミュージアムは近代的な建物でオランダの著名建築家のベン・ファン・ベルケルとカロリン・ボスが手がけた設計を手がけたミュージアムです。そしてここではゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツがそれぞれに自動車を開発し、合併してからのを含めてメルセデスベンツのすべての歴史を見ることができます。
このメルセデス・ベンツ 600は1963年9月に開催されたフランクフルト・ショーにおいて、デビューしました。1930年に発表され、日本の皇室でも利用されたという怪物グロッサー・メルセデスの再来と言われました。搭載されたエンジンはV型8気筒の6330ccのSOHCユニットで、250PS/4000rpmと51kgm/2800rpmを叩き出すというモンスターマシンです。このグロッサーの系譜が脈々と受け継がれます。
そしてこちらが300SEL 6.3。別名「グロッサーの孫娘」と呼ばれています。今回この6.3に会いたくてシュトットガルトを訪れたと言っても過言ではありません。ピッカピカに磨いてあり新車のようでした。僕がこの車を知ったのは五木寛之の短編小説集「雨の日には車をみがいて」に収録されている「怪物グロッサーの孫娘」でです。その物語の主人公はこの6.3を以下のように評しています。
この一件なんの変哲もない4ドア・セダンのベースが、製造番号W108タイプの280S/SEであることは、誰もが気づくだろう。わずかに異なっているのは縦の並んだデュアルランプである。ぼくらはそれを<タテ目>と呼んでいた。ほかにこの不気味なまでの力を持つ乗用車を区別する外見は、トランクグリッドに実に無造作につけられた<6.3>の文字だけだった。
<中略>
この車について語るなら、ぼくが最も感銘を受けた一つのデータをあげるだけで十分だと思う。それは、この車の今では古風なメカニズムをもつV8エンジンが、なんと51kg/Mというとほうもないトルクを秘めていた点である。
<中略>
しかし、本当に<不気味>なのは、その51kgというトルクの数字ではない。僕を心から畏怖させたのは、この単なるOHCエンジンがその巨大なトルクを、わずか2800回転という回転数で発生することだった。
そしてメルセデスが手がけている様々なカテゴリーのレーシングカーを実物で一挙に見ることが出来ました。いまやホンダですが、昨年までエンジン供給をしていたマクラーレン・メルセデスが展示されています。
次回はいよいよ最終話のポルシェです。
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南ドイツの旅 (2) - フランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)
ミュンヘンから再びICEで2時間半、今回のジャーニーの最終目的地は予てから訪れてみたいと思っていたシュトゥットガルト(Stuttgart)です。
どんな街か?Wikipediaによれば、
ネッカー川沿いにあり、シュヴァーベン地方北部とフランケン地方南西部であるヴュルテンベルク地方を境目とするドイツを代表する工業都市で、もっとも豊かな地域である。一方ではブドウなどの栽培も盛んであり、中央駅のそばには今もブドウ畑が残る。ワインも生産され、農業も盛んな田舎街の側面を併せ持つ。
さらに交通の要所となっているようで、
欧州議会があるフランス・ストラスブールへ車で1時間半、ミュンヘンへ2時間、フランクフルトへ1時間半、スイス・チューリッヒへ2時間半とヨーロッパのへそともいえる絶好のロケーションに位置する。
ドイツのガイドブックではベルリンやロマンチック街道などが人気観光スポットとして掲載されています。このシュトゥットガルトは眼を見張るような観光資源は無くガイドブック上でページを割かれることは殆どないようです。それでもこの街を選んだのは、メルセデス、ポルシェといった世界を代表する企業の本社があるからです。つまり「クリマがあり、ワインがある街で2時間以内で主要都市に繋がるハブ」といったところでしょうか。Formula 1ファンとしても、スパ・フランコルシャン、レッドブル・リンク、ニュルブルクリンク、モンツァに近い街ですね。
今回は2泊3日の短い滞在でしたが、街を歩いてみた印象として、60万人もの人口なのですが、街並みが穏やかですごくシックリくる感じです。食に関しても地元料理のレストランはもちろんですが、イタリアン、アジアンレストランも結構ありました。ここはドイツ旅行で一度は訪れてみたいオススメの街です。
夕暮れの街並み(ズームして見てください。みんな楽しそうです)
これまで僕は、東はベルリン、ドレスデン。西はデュッセルドルフ、フランクフルトそしてミュンヘンと代表的なドイツの街を巡りましたが、今回訪問してみてこのシュトゥットガルトが一番好きになりました。次回はパリ東駅からTGVでストラスブルグを経由しシュトゥットガルトに訪問しよう。
次回はメルセデス、ポルシェ博物館について綴りたいと思います。
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南ドイツの旅 (2) - フランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)
バイエルン州ミュンヘンに拠点を置いている自動車/二輪車メーカーといえば、ご存知BMWです。このBMW、スーパーカーブームのころはドイツ語読みで「ベー・エム・ヴェー」と語られていましたが、最近は英語読みの「ビー・エム・ダブリュー」が一般的なようですね。この頭文字はBayerische Motoren Werke (バイエリッシュ・モートレ・ヴェルケ) の頭文字で日本語で言えば「バイエルン発動機」といったところです。
僕がなぜ「バイエリッシュ・モートレ・ヴェルケ」というワードを覚えているかといえば、20年以上前に読んだ五木寛之の短編小説集「雨の日には車をみがいて」に納められている「バイエルンから来た貴婦人」のクライマックスで語られているこの言葉がすごく印象的だったからです。(詳しくは読んでください)
今回このミュンヘンを訪問地に選んだ大きな理由はBMW博物館を訪れるためです。BMW博物館へはミュンヘンの中心部から地下鉄3号線(U3)で30分程度。Olympiazentrumという駅で降ります。どうやらここOlympiazentrumはミュンヘン・オリンピック開催の地のようですね。
駅を出ると目の前にあるBMW博物館はBMW本社に隣接しています。具体的にはBMW WeltとBMW Museumで構成されており、BMW Weltはお台場のMEGA WEBのような最新のBMWやMiniのラインナップが展示されている大規模ショールーム、BMW Museumは歴代のBMWが展示されている文字通りの博物館となっています。僕が訪問した時は運良くBMW Miniが特別展で展示されていました。
BMW 3/PS 1930年
今はBMW傘下のMiniですが、生まれはイギリスです。20年以上前になりますがMiniのオーナーだった時期があります。所有していたのは1989年に主にフランスと日本向けに2500台限定発売されたミニ・ピカデリー(AUSTIN-ROVER MINI PICCADILLY)です。
Mini30周年記念の限定車がいくつかあったと記憶していますがその中の1つで外装がカシミア・ゴールド・メタリックのカラーでクロムメッキがふんだんに使われているがピカデリーの特徴で、もちろん内装も特別仕様でした。写真は当時のピカデリーです。(1993年本人撮影)
このピカデリーは1992年に中古で購入し1994年に手放しました。
■エントリーアーカイブ
南ドイツの旅 (2) - フランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)
南ドイツの旅 (3) - ミュンヘンへ Intercity-Express